小沢健二「LIFE再現ライブ」に参加して考えたこと ⑦


7.再現④「フェードアウトはイヤ!」からアリストテレスっぽい話、そして生活が戻るまで

 

「いちょう並木」の話がずいぶん長くなってしまった。その次はもちろん「東京恋愛専科」。あの特徴的なベースのぶりぶりいうイントロもスカパラホーンズもCDそのまま、まさに再現という演奏だったが、この曲の最後のフェードアウトでまたもや「いーやー!フェードアウトはいやー!」と駄々をこねる小沢。しかもしつこく何度も繰り返すので観客は大よろこび。そして演奏に合わせて、微妙に節回しを変えつつ「パー・ラー・パー」を何度も繰り返し、みんなに歌わせる。再現と言いながら、そして録音に忠実な演奏をしつつも、こうやって気まぐれに攪乱してくるので、自由闊達な心の運動性をすごく感じられる。つくづく自由が好きな人だと思った。

 

再現している間に何度朗読があったと思うが、たしか「ラブリー」の前に “Life”という英単語についての話が合った。ウェブスターという辞書の二番目の語釈がいいという話で、英語を読むのが上手だとリーリーが登場し、流れるようにそれを読み上げた。しかし流暢すぎて、私には冒頭の “A principle or a force・・・“ってところしか聴き取れなかった。小沢が日本語でそれを解説するには、生きているものに特徴的なものを支えている力だとか。この「力」ということを強調していて、それを踏まえると “Life is coming back!”というフレーズがすごくいいと思う、と話していた。

 

この話を聞いて、生きているものの特徴を支える力、そして原理(たぶん「アルケー」ってことだろう)ってすごいアリストテレスっぽいなと直観的に思った。あとで、ウェブスターの辞書を調べてあげている人がいたので、それを見てみるとどうやら “A principle or a force that is considered to underlie the distinctive quality of animate beings”(生きているものの特徴的な性質の根底にあると見なされる、原理または力)ということらしい。やっぱり『デ・アニマ』でのアリストテレスの魂の定義を踏まえていると思える。アリストテレスの文章はややこしく論述も込み入っているので、ずばりのところを引用してて「ほら!」と示すのは難しい。代わりに岩波の新しい方の全集で翻訳を担当している中畑正志のまとめを引用すると、「栄養摂取、運動、感覚、思考という能力にもとづくこの規定を導くのは、魂は何よりも〈生きる〉ことの原理であり、そして〈生きる〉とは、栄養を摂取し、運動し、感覚し、思考するという形で実現される、というアリストテレスの理解である。魂はこうした具体的で異なる種類の生を可能とする原理ないし能力なのだ」(『アリストテレス全集7 魂について 自然学小論集』 岩波書店、2014年。479頁)とのこと。 “the distinctive quality of animate being”を栄養摂取、運動、感覚、思考のことだと考えると、アリストテレスそのものだ(ちなみに一番初めの語釈は “the quality that distinguishes a vital and functional being from a dead body.” 「死んだ身体から、生きて機能している生き物を区別する性質」。こちらは近代科学成立以後の心身二元論っぽい定義。それよりもアリストテレスに魅かれるのはすごく小沢らしいなと思う。フォーダーを持ち出してピンカーを批判し、遺伝子の話をするときにドーキンスではなくルウォンティンを引っ張り出すセンスとどこか通じている)。

 

それで「ラブリー」。ライブの少し前のツイートで話題にしていた、あのギターで弾き始める。まさにあの音。そこにリズム楽器とホーンが入ってきて、あの祝祭感がよみがえる。いままでいろんなアレンジで聴いて、それらはどれもよかったけれど、やはりオリジナルはいい。すごい粘り腰のリズムと最後に重い緞帳を巻き上げるようにして入ってくるストリングス。そしてこの曲の中で、「ジェイク・H・コンセプション!」と名を呼んでいた。この後の、オーケストラだけの変奏曲ももちろんいい。

 

いよいよラスト、「愛し愛されて生きるのさ」。これも「ラブリー」同様、すごく特徴的なあのギターの音で再現された。アレンジもリズムも変えていないと思うのだけど、すごく疾走感を感じる。それが演奏のせいなのか、それとも自分の気持ちのせいなのか分からないが、もともと『LIFE』のなかでも短い方曲なので、あっという間に終わってしまう。本当にこれで終わりでアンコールがないと分かると、すでに予告されてそれを覚悟していたとはいえ、すごく残念に思う。会場からいつになく「やだー!」という声が多く上がったが、「だって再現したもん」と威張るように言ってこれで終わりにすることを譲らない小沢。

 

ただ、再現の演奏で完全に終わりではなく、そのあとバンドは抜き、小沢のギターだけで「愛し愛されて生きるのさ」をワンコーラスだけもう一度演奏し、みんなで歌う。BOSEがそれをスマホで撮影して中継していたのだが、小沢を撮ろうとすると「撮らないで!」と言って客席を撮影するよう求めていた。私は、また小沢が泣いていると思った(本当かどうか分からないけど)。なぜだか知らないが、『カイジ』の班長が脳裏に浮かんで「オザワくんは泣き虫だなあ」と言った(なんだそれ)。その演奏が終わって、本当に本当の終了。終わるのを嫌がる観客に、「大丈夫」と言ってカウントを始める。そう、大丈夫。生活に戻って、またなんだかんだと面倒なこととか悲しいことがあったりもするのだろうけれど、それでも私たちはちゃんと生活して、またどこかに集まることができる。だから大丈夫、と思い、一緒に10からゼロまでカウントした。正真正銘のおしまい、ユートピアは消え去り、それで生活が帰ってきましたとさ(Life is coming back)。